過去の標語(令和5年~)

 

=優しい心=

  昭和24年7月、罪を犯(おか)してしまった人の立ち直りに寄(よ)り添(そ)い、また支えることによって、再び犯罪が起こることを防ぎ、犯罪や非行のない社会を作ろうという「社会を明るくする運動」が始まりました。

現在、国内で検挙された人の約半数を過去に罪を犯した人が占めている現状があります。犯罪や非行をしたことで、社会の中で孤立し、それによって再び罪を犯すケースが後を絶ちません。

 犯罪や非行に陥る人を減らすためには、仕事、住居、福祉などの地域に根ざした支援が必要とされています。

またそれ以上に、過ちを犯した人を地域の中に受け入れ、見守り、支える、地域に暮らす人たちの温かいまなざしが重要です。犯罪のない安全で安心な明るい社会を実現するため、立ち直りを支援する輪を広げていくこと。これが「社会を明るくする運動」の目指す未来といわれています。

 この運動は、どんな人でも「優しい心」を持っているということを信じられるからこそできる運動です。

十界(じっかい)とは、私たちの心のありようで、みんなの幸せを願う「優しい心」から、自分だけの利益のことしか考えず、他人を傷つけてまで利益を得る「地獄の心」までの10段階の「心」のことです。そして、それぞれの心が単独ではなく、互いに互いを兼(か)ね備(そな)えているといわれています。

 時にテレビや新聞のニュースで極悪非道の犯罪事件が報道されることがありますが、これを他人事と捉(とら)えず、私たち自身にも罪を犯す可能性があるかもしれないと考えます。

 安穏な、また平和な世の中にするには、人と人がお互いに理解しあい、誰もが「優しい心」を表にだせるように行動していくことが必要だと思います。

 人間の心のなかは、このいま私たちが生きている現実社会のようなものです。だけれど、人と人がお互いに理解しあい、誰もが「優しい心」で生きていくことができれば、安穏で平和な世の中になるのです。 



=父・母(ご先祖さま)と一体=

 私たちは、誰しもが、父・母があってこの世に生まれてきています。また、よく聞く言葉だとは思いますが「産んでくれと頼んだ覚えはない!」と反発しても、この事実は決して変わることはありません。

 誰もが、自分の体は親からいただいた大事な体なのです。

そんなあなたが、もし今、悩みや苦しみ、生き辛さを感じていたら、それはあなたのお父さんやお母さんも、かつて経験してきたことかもしれません。

 私たちは、生きていくうえで、毎日生活していくうえで、必ずと言っていいほど苦難や悲しみ・苦しみなどに遭遇したり、悩みなどがあるものです。

 時には、素直な心で父・母に相談してみることもいいのではないでしょうか。

 自分のことのように親身になって考えてくれるのではないでしょうか。そして、その問題に対して、経験上あるいは体験上、より良い答え(智慧)を出してくれるかもしれません。

今月はお盆です。

 父・母の父・母(祖父・祖母)、そのまた父・母(曾祖父・曾祖母)、そしてご先祖さまへと思いをはせてみましょう。みんな、あなたと同じように悩みや苦しみを一生懸命に生きてこられたと思います。

 今、〝私〟が生を受けてこの世に生きているのは、父・母、祖父・祖母、曾祖父・曾祖母そしてご先祖さまと〝身と影の如く一体〟だからといえるのではないでしょうか。

 私たちは、これからもたくさんの縁を感じながら、「今」と「私」を大切に一日一日を大事に悔いのないように、幸せに生きていきましょう。 

 



= 優しい気持ち =

 先日、東京に行くために駅のホームで電車を待っていた時のことです。

 ホームに入る電車を駅員が待ち構えていました。電車が停車、そして扉が開くと、駅員は橋板を渡して車椅子の乗客の下車を補助していました。

 乗客は笑顔で「ありがとうございます」とお礼をいい、駅員も「どうぞお気をつけて」と笑顔でこたえていました。

 駅のホームではよく見にする1場面ですが、小さな理想郷、人と人とのつながりや報恩感謝の気持ち、人の心が持ち合わせている優しさ、本来あるべき人の姿(仏の姿)が私には見えてとらえていました。

 健常者も障がいを持つ人も、等しく生活しやすい環境。知らない者同士でも感謝し、そして挨拶をし、微笑みあう世界。殺伐(さつばつ)としたニュースが溢(あふ)れる現在にも、ちゃんとこういう世界が創(つく)られており、その輪(わ)がもっと広がればといいと思いました。

 宮沢賢治氏は「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」といわれています。

まさしくそのとおりであり、すべての方が幸せになれば、世界は平和に保(たも)たれ、飢えも苦しみもない仏の世界(仏国土→平和で安全な世界、迷いもなく心がいつも穏やかで過ごせる世界)になるのです。

 例えば自分が健康でも、家族が病気ならどうでしょう? 社会でも同じことです。みんなが優しい気持ちになり、支えあうことが、みんなが幸せになる道なのです。

 私たちが生きるべき真の方向性を今一度考えてみましょう。 

 



 =支(ささ)えあい=

  子どもたちの食育を支援する「こども食堂」を始めるお寺が、ここ数年で増えてきました。

「こども食堂」は、職業や業種、地域の方々やボランティアの方々など、さまざまな人によって支えられています。

 ことに食事を作る人がいても、食材や資金を提供する人がいなければ、「こども食堂」は成り立ちません。

仏教語においての檀那(だんな)とは「布施をする人」、行者(ぎょうじゃ)は「仏道修行をする人」を意味しています。

 これを「こども食堂」にたとえるとすれば、「檀那」は「食材や資金を提供してくれる人」で応援者、「食事を作る人」は「行者」で実行者ともいえるのです。

世の中を見渡せば、この「こども食堂」のようにどのようなこと(地域の活動やボランティア活動、国際的な支援活動等)でも支えあい成り立っているのがわかります。

私たちは時には「檀那」となり誰かを応援し励ましあい、時には「行者」となり直接誰かを支えあっているのです。

 またある時は「檀那」に応援され、「行者」に支えられているのです。

  私たちは、人としてよき檀那・行者として安穏な世の中、へいわな世の中を築いていきましょう。 



 

=病・やまいから教おしえられること=

 今年なされた報道の中に、イギリスの王族であるウェールズ公妃キャサリン妃が癌(がん)であることを公表し、ビデオメッセージが公開されました。「どんな形であれ、この病気に直面している皆さんは、どうか希望を失(うしな)わないでください。あなたはひとりではありません」と、癌で苦しむ世界中の人びとに温かいメッセージを届けられました。

 仏教では、このことを病気は逃れられない「苦」の1つとしています。一方で、病気は私たちにたくさんの気づきを与えてくれます。

看病をしてもらえれば、人と人との繋(つな)りのありがたさを知ることでしょう。「いのち」の尊さや、この先の「いのち」の使い道を考える時間になるかもしれません。

 私たちは、いつ病になるかわかりません。生きていることが当たり前ではなく、生きていること自体が奇跡で、たいへんにありがたいことなのです。そう思いませんか。

 病気は、いつ発症するかわかりません。また、発症しても小さなものであれば、病気になっていることさえ気づかないかもしれません。それどころか、これぐらいと治療もせずほうちすれば、手遅れになってしまうこともあります。

 小さい気づきでもかまいません。何か自身の身体に不調や変調があれば、自身で判断せず、近くの診療所や病院、またかかりつけの医師があるならば受診してみましょう。早期で軽く済む場合もあれば、何事もないかもしれません。

 普段から「いのち」を見つめて心を調(ととの)え、病(やまい)になれば病からまた学び、実りある人生にしていきましょう。 



=安穏(あんのん)な世(よ)を目指して=

 このご文章は、「また他の誤りを誡(いまし)めんのみ」と続きます。

 世の中を良くするために、良いと思ったことを自分自身だけにとどめず、他人の誤(あやま)りを注意していこうということです。

私たちは日常生活のなかで、自分だけの正解や思(想)いを相手に押し付けてしまったりすることが多々あります。それはともすれば、むやみに相手を否定しかねず、発展性のないものになってしまいがちになってしまいます。

 他人に注意や忠告などをする場合は、一度立ち止まって独りよがりの自分だけの正解にとらわれていないかよく考え、常に相手を尊重し、安穏(あんのん)(安全・平穏(へいおん))な世の中を願い、想像し、また思いやりながら行動してまいりましょう。

鎌倉時代の日蓮大聖人さまは、お釈迦さまが説かれた経典の1つ『法華経』を信仰の基にされ、そしてさらに、改めてすべての仏教経典を読み込まれて、考察され、行動され、そして人びとの心や気持ち(その時の世情とその時の人々の感情・心情に即した)を思いやられ、安穏な世界平和を願い『立正安国論』という書を著されました。

 戦争や自然災害・人災など、現在において様々な問題が起因(きいん)され、それにより多くの方々が避難を余儀なくされています。また、心・心情の安穏が脅(おびや)かされ、すさんだあきらめに等しい感情になりつつあります。

 今一度、平穏・平和な世の中になりますように思考し、行動していかなければならないのではないでしょうか。

 



 =施(ほどこ)しの気持ち=

 先日、ある方に美味しいケーキ屋さんを教えてもらいました。しっとりしたスポンジにまろやかな生クリーム、甘いイチゴ…。こんな美味しいお店を教えてくれてありがとうという気持ちと、同時にこのお店は自分だけの秘密にして誰にも教えたくない、という気持ちになりました。

 「誰にも教えたくない」という気持ちが、自分だけがいい思いをしたいという「物惜(ものお)しみ」の気持ちです。これが「餓鬼(がき)」の心です。

人の心の中には、36種類もの餓鬼がいるといわれています。

お風呂のお湯を、自分だけにかき集めようとするとお湯は逃げていきますが、向こうへ押すとはね返って自分の方へ戻ってきます。

 この現象は、何も物や事象に限ったことではありません。その人の運勢や人生にも同じことがいえるのです。

それは、自分だけの幸せを考えると逆に逃げていきますが、他人と幸せを共有することで自分の方にも幸せがかえってきます。

ある方が、私に美味しいケーキ屋さんを私に教えてくれたように、日常生活の中での些細(ささい)な喜びや幸せを周りの人にもお分けしていきましょう。

 そうすれば、些細な喜びや幸せが、大きな喜び、または大きな幸せ・幸運になることでしょう。

誰かに施(ほどこ)す気持ちを持つことが、いかに人生を豊かにするかが大事なことです。 



 

=真贋(しんがん)を見極める=

  世の中には、利根(りこん)といって生まれながらに頭脳明晰な人や目に見えないものを感じたりする人など、不思議な力(神通力)を持っている人がいるそうです。

 仏教には三(さん)明(みょう)六通(ろくつう)といって、過去・現在・未来を見通す力や煩悩(ぼんのう)を断(た)つことができるなどの6つの超能力が説かれています。

 そこで気を付けておきたいことがあります。人は、困っている時や心身ともに疲れ果ててしまし、苦しんでいる時には、藁(わら)をもすがるような気持ちで、こういう力だけに飛びついてしまいがちです。しかし、不思議な力に飛びつく前に少し冷静になって、それがまがい物(詐欺や宗教まがい等の勧誘)でないかを見極めましょう。

その判断基準の1つとして、きちんと物事の因縁(原因と結果)をわきまえているか、なぜこのような問題に直面しているのか、まず原因を考え探し探りだし、そして一つひとつ解決していく。また、個人のためではなく人びとの幸せ、世の中の平和に通じているかを考えてみることです。

 物事の善悪をきちんと判断できる基準を持ち、日々を安穏に過ごすにはどうしたらよいか考えましょう。自分一人で解決できなければ、解決する方法がわからなければ、家族や友人、同僚など信頼のおける人を頼り相談してみましょう。さすれば何かしらの解決方法が見つかるはずです。

 まずは、自分自身で考え行動し、判らなければ頼ってみることが大事です。

 詐欺行為に騙されず、迷わされず、信をもって正しい道を進むことです。 



=師を求めよう=

  人生という道に迷った時に頼りになるのが、道しるべを示してくれる「師」の存在です。

マスメディアやSNSなど、今日ではありとあらゆるところで情報があふれており、私たちが今いるこの現代では、何が本当のことなのか困惑してしまいがちになります。

 経済的利益のみを追求し、時間に追われる人。人間関係に疲れ、生きる喜び・やりがい・目標を失ってしまった人。私たちはみな苦しみや悩みを抱えて生きています。

人生に疲れ切って動けなくなる前に、周りの人に道を尋ねてみませんか?隣にいる人や友人、会社の先輩や同僚、お寺の人などにです。

 相談したり、助けを求めてみましょう。その人は年上の人であるとは限りません、あなたより若い人かもしれません。凝り固まった先入観を打ち破り、あなたの知らない考え方や進むべき方向性を示してくれる人、導いてくれる人が「師」なのです。

 「師」とは人生観を共有する友でもある、その可能性もあります。

 人生は成長の旅。良き「師」との出会いがきっとあなたの人生を豊かにすることでしょう。

 



 =怖(おそ)れない心=

  「大丈夫! 自分が今までやってきたことを信じて頑張れ! みんながついているから」と、励まされたことはありませんか。

 物事に取り組む時、苦難に遭遇したとき、不安に駆られひるんでしまった経験は、誰にでもあることだと思います。

 よく選手たちが、試合に臨む時、監督やコーチからそう励まされておじけづいた自分の心を奮い立たせたことは多々ある事でしょう。

 自分の力が信じられなくなったり、自分には味方がいないのだと思い込んでしまうと、人はどんどん弱気になってしまい、物事から逃げだしたくなったり、投げだしてしまいそうになったりと、心が折れそうになったり弱くなったりとなることだと思います。

 しかし、人生には勇気を持って突き進んでいかなければならない場面がたくさんあります。身近なことでよく思い当たることは、仕事や人間関係などではないでしょうか。

そんな時は自分を信じてみましょう。「自分ならできる」と想い信じ行動してみましょう。不思議と目に見えない力が働くものです。

 不信感や孤独感に陥(おちい)ることなく、百獣の王・ライオンのような、いざというときに怖れない心・ひるまない心を養っていきましょう。



 =試練=

 物事に一生懸命に取り組めば取り組むほど、課題や障害がたくさん浮上(ふじょう)して、前に進めなくなる時があります。

 たとえば、何度も練(ね)りに練(ね)った企画書にダメ出しをされたり、苦情を受けたりなどなど…。人生はうまくいかないことばかり。まさに試練の連続といえるのではないでしょうか。

 そんな時、まず自分自身にて心得(こころえ)ておきたいのは、「自分は完璧ではない」ということです。

必要以上に落ち込まず、ありのままに受け止めてみることが大事なこと、大切なことです。

原料から鉄を作る時は、高温で熱(ねっ)します。そうしないと原料の中に含まれている不純物が取り出せず、良い鉄ができないのです。

 これと同じように、私たちも一生懸命物事に取り組むことで鍛えられ、そして試練を乗り越えて、その先にあるであろう物事をやりきった充実感・満足感、そして味のある人間として成長していくことができるのです。

完璧な人などいません。逆にいえば、成長できる伸びしろがたくさんあるということ、人からまた物事から教えられ、学べることがたくさんできるのです。成長していくのには、急がず、休まず、怠らず、1歩1歩ゆっくり進んでいけばいいんです。

 自分自身を振り返り、見つめ直し、苦難をどうとらえたらいいのかを学ぶことが、生きる力をもらえる(養える)のです。

 



 =人生の目的=

「生まれて来なければよかった…」

「どうせ死ぬのに何で生きなきゃならないんだろう?」

生きていくということは大変なことです。日々の生活、仕事、対人関係、自然現象(災害等)、家庭環境などいろいろと悩みがあり、またストレスが溜まる社会・世の中で、現実に皆さまにもいろいろとあることと思われます。

こんなご時世だからこそ、時に私たちは生きる目的を見失います。そんな時どうしたらいいのでしょうか?

また、悩んでいるのはあなただけではありません。いろんな方が何らかの悩みをお持ちでしょう。まずは深呼吸をして、空を見上げましょう。自然に身をゆだね草花のいのちを感じ、虫の声に耳を傾けましょう。また、気持ちが楽になる人に会いに行きましょう。そうすれば、少しづつではありますが、生きる力が湧いてきます。生きる力が湧いてくれば前を向いて歩くことができます。さらに考える力・思考力も向上し、仕事、家庭、対人関係など改善されより良い関係を持つことができることでしょう。

みなさんも精一杯生きておられていることでしょう。しかし、これ以上に向上していこうとすること(想い)が大事なのです。

生死の悩みは永遠の課題です。お釈迦さまは「いのち」を、三世(過去・現在・未来)に生きる永遠のものとします。人の行動や言葉は誰かとの「つながり(縁)」となって永遠にあなたの「いのち」として生きることにもなるのです。

私たちは悩むことも、生きていくうえでは必要なことです。

今日も素晴らしい1日を生き切りましょう。

 



 =ものの見方、とらえ方=

 100円玉やほかの硬貨は、普通に何気なく見まてみると丸い形にみえることだと思います。ではこの効果を入れる貯金箱の穴の形はどうでしょうか? 

どのような貯金箱でも細長い四角になっているはずです。

100円玉やほかの硬貨を横から見ると四角だからです。

100円玉は「丸」でもあり「四角」でもあります。

  表題の文章は「私たちの心が物に飢(う)えた餓鬼(がき)の状態だと、水も火に見えてしまいます」という喩(たと)えです。

私たちの心の状態が安定していないと、物事を偏(かたよ)った見方でしかできなくなってしまいます。

私たちが耳にする言葉の中に「正解(せいかい)依存症(いぞんしょう)」という言葉があります。

これは、私たちが自分なりの「正解」を見つけると、それを疑うことができなくなり、また他人にも自分の正解を押し付けて、そして自分なりの「正解」以外は受け付けることができない状態になることだと言われます。

100円玉が「丸」でも「四角」でもあるように、日常生活のさまざまな出来事を、いろいろな角度から見てみることこそ大事ではないでしょうか。

私たちは、人それぞれの価値観や多様性決めつけ、それをいかに正しいことだと思い込み、他人に押し付けることではなく、それを認める豊かな心を育くむことが大切であり、また育てなければならいことこそが大切ではないでしょうか。

物事を一方向からみるのではなく、柔軟に、かついろんな見方をしながら答えを出していく。また、出した答えは一つではなくいくつもあるのだと考えてみてはいかがでしょうか。

 



 

=人間関係=

 「あ~、なんだか仕事行きたくないなぁ~、学校行きたくないなぁ~、苦手なあの人の顔見たくないなぁ~」と思う時がありませんか?

今現代、現在おかれているあなた自身の立場や地位、対人関係等のストレスなど、こんな思いを抱くことは、結構な頻度(ひんど)で、誰にでも思うことはあるのではないでしょうか。

できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいと思うものです。しかし、人間はお互い関わりあって生きている生き物なのです。

「お1人さま」または「ぼっち」といわれる「孤独感」が、一番心身に良くないことではないでしょうか、というよりはっきりとよくないものなのです。

ですから、こう考えてみてはどうでしょうか? 

自分と接する人は、みんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写し出してくれることもあるのだと。

いろんな人と接することは、「違う自分」または「自分の長所・短所」などの再発見につながることがあります。

もしかすると、自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。

あなたの周りにいる人は、良くも悪くもお手本を示してくれる人がいるのです。

その人自身の想いかた、とらえ方はあるとは思いますが、決して悪いことではなく、周りの人を観察・思考して、悪い事、良い事を見極めて、自分自身の成長の糧(かて)とすることがとても大切なことなのです。それが人とのつながりだと言えるでしょう。そして、善悪が理解できる人間になりましょう。

この事は、人が心身ともに成長するためにも大事なことなのです。 



 =思い切りよく=

  あなたは、朝起きたらまず何をしますか? 

 まず歯を磨きますか?それとも顔を洗いますか?

 こんな日常の些細(ささい)なことでも、私たちはその都度(つど)決断しています。

 ケンブリッジ大学での研究によりますと、私たちは1日に3万5千回も決断をしているというのです。

 そう考えますと、私たちそれぞれの人生は、さまざまな決断の連続なのではないでしょうか。

 思い切りよく決断できるにこしたことはありませんが、しかし迷いが生じて、煮え切らないことも多々あることだと思います。気持ちの整理がおいつかず混乱し、時にはやる気や元気を失くしたりすることがあるでしょう。

そんな時は、あなた自身と周囲の皆(みんな)が心の内からワクワクして、そして笑顔になれることを考え、判断し行動してみましょう。

 それでもダメだったら、気持ちをきりかえてゆっくり時期を待つということも大切なことです。そういう決断をしてみることも良いのではないでしょうか。

 悩み迷うことは、自分がさらに今まで以上に成長しようとしている証拠なのです。

 上記の言葉は、何事も勇気と自信をもって行動することが大切だと示された文章で、激励のメッセージともいえる箇所からの抜粋です。

 迷っている人の背中をそっと押してくれる心遣いが伝わってくるようなお言葉です。

 私たちの一生の中で迷う時は多々訪れることでしょう。そして、救いの手は必ずあらわれます。その時、あなた自身が思い切れるかどうかです。

 幸福な人生とは、周りに支えられ、そして自分自身の手でつかみとるものではないでしょうか。

 



=しなやかな心で=

 私たちは、とかく褒(ほ)められれば有頂天(うちょうてん)になりやすく、文句をいわれれば怒りやすく、またきれたり、時にはへこんだりと…。

 私たちが生活していくうえで、何かとストレスがたまる、またはたまりやすい現代の社会です。

さて、私たちの身の回りには8つの風が吹いているといわれています。喜んだり、しょげたり、傷付けられたり、感謝されたり、尊敬されたり、陰口をたたかれたり、辛くなったり、楽しくなったり…。

良い風の吹く日もあれば、嫌な風が吹く日もあります。それが人生といえるでしょう。

 生きていればいろいろなことがあったり、またおこったりしますが、それを乗り越えていくためには、何事にも動じない頑強(がんきょう)な心ばかりではありません。また一人では解決できないこともあるでしょう。

 どうしても解決できない、良い方向にいかない時は、どうしていいかわからないこと、悩みや苦しみはけっして1人では抱(かか)えず、お寺や公的機関、周りの人に相談してみるとよいでしょう。これも一つの方法です。

木の枝は頑強なほど折れやすいものです。どんな風とも仲良くできる枝垂れ桜のように、また柳の木のように、しなやかにしなやかに生きていきましょう。

 思い通りにいかないとき、人としてどんな心構えで暮らしていけばいいのか、そして、人を怨(うら)まず、まず穏(おだ)かな心を保ち、物事を大切に思い、真剣に考え考慮することが事態の好転につながります。

どうか、一人で解決できれば良いですが、できなければ、無理をせず誰かに相談して助けてもらうことも大事ではないでしょうか。 

 



=尊敬(そんけい)と羨望(せんぼう)=

世界や社会で活躍する人たちは、その努力や人柄、結果に対して多くの人から尊敬の心を抱かれます。

しかし、時(とき)として私たちはその副次的に得る富を、成功や尊敬の証(あかし)と短絡的に考え、そこだけを真似することも多いことだと思います。

つまり、高価なものを所有するなどして、尊敬と似(に)て非なる羨望(せんぼう)(人をうらやましく思うこと)を受けたいという欲求を起こすのです。実は羨望は、妬(ねた)みとも解釈されます。

身近で尊敬される人とは、困っていたら手を差し伸べて助けてくれたり、的確な助言をくれたり、いつでも相手のことを思いやり気遣いながら、親身になってくれる人のことをいいます。

あなたにとって、そういった尊敬できる人がいるならば、それはあなたがそこに至りたい、その人のことをうらやましく、同じような人になりたいと思っているからです。ある意味、憧(あこが)れともいえるでしょう。

あなたは、あなた自身のままで尊敬する人を鑑(かがみ)としながら人生を歩んで行けば、意識せずあなた自身が人から尊敬される存在となりうることでしょう。

羨望されたいは捨てて、尊敬されるような生き方をしている方は、知らず知らずのうちに周りをも幸せにしています。また、幸せになっていることでしょう。

あなた自身の生き方を、今一度見つめ直して、考えてみるのもいいのではないでしょうか。

生き方が、羨望なのか尊敬に値するのか、それともそうなりたいと努力しているのか。

あなたは、どちらなのでしょうか。