この日蓮大聖人さまの御遺文は、地獄と仏について教え、その両者とも所在は人の心の内にあることを説いておられます。
現在の世にいて、マスメディア等の報道機関にて、よくいじめ問題(子供や高齢者に至るまで)や、果ては国同士による問題などを目に耳にします。
地獄(悪=いじめや窃盗、中傷等→懺悔文参照)と 仏(善=相手に対して思いやりのできる心(慈悲)、自分の意志で考え、決意、行動できる心)は
人の心の中に存在しており、この二つがバランスよく存在して、善悪の判別を認識し、社会に適応できる行動をするのではないでしょうか。
自分の心を覗いた時、そこに地獄(悪しき心)が存在していたことに気付くのが信仰の原点ではないでしょうか。
しかし、自分の心の中にある悪を認めることは人にとってたやすいことではありません。
それに気付いたならば、日々、仏の前に額ずき己を謙虚に省みることです。
その時、初めて仏の大いなる懐に抱かれ、生かされていた自分を発見することが出来るのです。
それが信仰の喜びというものかもしれません。
平成29年2月1日