「丈夫」とは、一般に「強い」や「壊れにくい」「頑丈」などの意味合いのことをいいます。
また、仏教では「正道をまい進し決して退転しない修行者」のことを指します。
「正道」とは、正しい道、正しい行いという意で、
自分にとって正しいということではなく、天に恥じることのない、人間として正しい道という意味です。
「退転」とは、仏 修行を怠り悪い方へ後戻りすることであり、
志を曲げて屈すること。だんだん悪い方へ移りかわることなどをいいます。
また仏さまを尊称して「調御丈夫」と表現することがあります。
この「正道」という語は、仏さまが一切の丈夫を教え導く師であることを意味しているのです。
私たちの師たる仏さまは、弟子の丈夫たちにこのように説かれました。
「世法の価値観に囚われてはならぬ。不変の真理を規範として歩め」と。
私たちは、「人間として何が正しいのか」ということを常に考え行動しています。
そして、それに従って正しいことを正しいままに思慮して実行していくのです。
つまりそれは、嘘をつくな、正しく(正直)あれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよなど、
私たちが子どもの頃に両親や先生から教わったような人間として守るべき当然の社会の法則(ルール)、
また人生を生きる上で先験的に知っているような、「当たり前」の規範にしたがうことで、
正しい道を踏み、歩き、誠を尽くしていくことが、必ず長い目で見たとき、良い結果に繋がるものなのです。
日蓮大聖人さまは、ご自身の使命と弘めるべき教えを弟子信徒に顕示されました。
お題目の流布は既に2千年前に釈尊が予言されていたこと。
さらに大聖人自身が釈尊から末法の世に法華経、お題目の布教を託された丈夫であるとの自覚とその誇りを述べてられました。
何が正しく、何がだめなのか、今一度深く考えて行動してまいりましょう。
令和4年2月1日 法修山 一心寺