自分自身のことです。

自身が鏡の前に立ったとします。すると、あなたの顔が鏡に映っていますよね。

でも不思議に思うことはありませんか?

身体の一部である顔は、自身の一番身近にありながら、鏡を通して見ないと見ることができません。

 

それと同じことのように、私たちの生き様自体も、自分では見えているようではあるのですが、実は見えていないのです。

しかし、私たちの姿がありのままに見えている方がおられます。

それは仏さま(諸天善神さま)です。

そして、その仏さまの目を「神鏡しんきょう」というのです。

 

私たちは、生活していくうえで仕事に励み、交友関係を持ち、家庭を築き、

それを子や孫という後世こうせつないでいかなければなりません。

もし後世に繋ぐことができず絶えてしまったら、

その家系は無くなり途絶え、さらには地球全体、人類存亡にも関わってくることにもなりかねません。

 

仏さまが神鏡(神の目)を通して私たちを見守っていただいているということは、

「絶える」ということを無くし、私たちをより良い方向(生活や仕事、交友関係等)へと行くように導くためなのです。

そのために、知恵(思考)や勇気(行動)を与えてくださるのです。

 

普段は何も思いつくことはないが、何気なく突然物事の考えが頭に浮かんできたり、

また周囲の人、更に自身はその人を知らなくても周りから巡り巡ってその人が助けていただけたりと、

そんなことが、今思い返せば少なからずあったと思います。

それが神鏡を通して私たちを見ているということなのです。

 

では、どうすればより強く仏さまに見ていただけるのでしょうか?

それは素直な心で一心にお寺の本堂、家の仏壇、神棚の前で仏さまに手をあわせることです。

仏さまだけではありません。ご先祖さまも同じことです。

私たちが見ているということは、相手からも見られているということ、この一点に尽きるのです。

人びとの心の鏡になれるよう更なる精進・努力をしていき、仏さまやご先祖さまに褒められたいものです。

 

令和2年10月1日                   法修山一心寺