「父」の字の成り立ちは、一説には手斧を持って大地を切り開く姿を表現しており、
「母」という字は、その大地で子を育む乳房を表しているといわれています(諸説ありますが)。
また一方では、
「子」という字は、大地から少し頭を出し、どんどん頭髪が伸びる様子を表しているともいわれています。
しかし、昨今の世相を見るとその字に込められた思いが、
だんだん忘れられているように思えてなりません。
その原因の1つには、親ならこうしてくれるはず、子ならこうあるべきと
お互いがお互いを勝手に作り上げた理想像、理想の姿を押しつけ合っているためではないでしょうか。
この関係の潤滑油には「孝」があるでしょう。
「孝」の成り立ちは成長の極みを表した「老」から生まれたといわれています。
「孝」とは、子の親に対する道徳、孝行であり、
親を敬愛することを基本とするという意味合いをもちます。
ですから親はこういうもの、子はこういうものというように、
勝手に作り上げた理想像ではなく人類が誕生してからこの方、自然に成り立ってきた姿なのです。
しかし、昨今は報道にもあるように親子の関係で殺傷したり、他人のふりをしたりと
「孝」が薄れ無くなってきているように思われてなりません。
不孝は不幸の始まり。
現在、新型コロナや自然現象による物価高や景気の落ち込みなど、多々悪いことが重なってはいますが、
先人の思いを振り返り、家族幸せに暮らしていきたいものです。
また、日蓮大聖人さまの言われている「不孝」とは、人倫の親子関係に留まらず、諸天善神さまの慈悲に気づかずに背くこと。
※ 諸天善神さま:本仏釈尊や家や会社を守られているご守護神、一個人を守っておられる守護神
それが最も重い罪(不幸=不孝)になるということです。
令和2年9月1日 法修山一心寺