「苦しい時の神頼み」とよくいいます。
人は、それほど強い生き物ではありません。
日頃手をあわさない人でも、病気になった時や大きな困難に遭遇した時、神仏にすがりたくなり手をあわたくなります。
これは自然の情ともいえるのではないでしょうか。
人智を超えた大いなる存在(大宇宙(自然界)の力=寿量ご本仏=神さま・仏さま)に頭を垂れて祈りを捧げます。
ここに信仰との出会いがあるのではないでしょうか。
そう考えるならば、苦しみも神仏の慈悲(人の体や心を成長させていただける力・心)の現れといえるのではないでしょうか。
ただ大切なのは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではありませんが、
良くなってから神仏にすがり、助けていただいた(教えていただいた)ことを忘れてしまい、何事もなかったように過ごしていく、
つまりは知恩報恩(恩を知って恩に報いる=智慧を恩を教えていただいてその恩に感謝する)を忘れて神仏を蔑ろにしてしまうことです。
さらには、法華経に『変化の人を使わせて』とありますように、
いろんな人に助けてもらいながら、その助けていただいた恩を忘れ、蔑ろにしてしまうことです。
重々用心しなければならない私たちの性ではないでしょうか。
「知恩報恩」人の心にとって大切なことです。
令和元年10月1日 法修山一心寺