物事を学ぶうえで、師匠ししょうは絶対になくてはならない存在です。

師(現在の先生、時には両親や祖父母など)についてこそ、初めて教えを受け成長へと導かれるのです。

これはどの分野においてもいえることではないでしょうか。

 

一方、「無師むしどく」といってまったく師にかず、自分で道を極めたという人も中にはいるかも知れません。

しかし、その人にしても最初から独学ではなかったことでしょう。

必ず誰か導き手がいたはずです。

成長に決して欠かせない師(先生)との出会い。

今一度その師への思いをめぐらせたい、報恩感謝したいものです。

 

上のご遺文は、駿河国富士郡西山郷の地頭で熱心な信徒だった大内三郎安清氏への手紙です。

ここでの「ぜん知識ちしき」とは私たち衆生を成仏に導く師という意味です。

※ 成仏:死して仏になることではなく、生きているうちに仏のようになる、生きていくうえでの智慧と勇気を授かること=法華経の教えである

冒頭で、何事においても良き導き手が重要なのです。

また、仏教史上、当初は悪人だった阿闍世王も、釈尊に導かれて成仏できた故事を引かれています。

しかし、一方でその善知識に会うことの難しさも述べられています。

 

信仰は良き手本、良き導き手が最重要だということです。

日頃から、その出来事ごとによき師(先生)に出会えるように精進・努力をすることです。

 

令和元年7月1日 法修山一心寺