「火の如き信仰」あるいは「水の如き信仰」と、日蓮大聖人さまはよく申されています。
それは、燃えさかる信仰(熱しやすく、また冷めやすい)も大切ではありますが、
淡々と流れ続ける水のような信仰(揺らぐことなく永遠に続いていくこと)こそが肝心であるということです。
そして、流れるとは自身のみならず、次の代に、そのまた次の代にと繋がっていく(繋げていく)ことも含まれているのです。
近頃では「信仰は、自分一代のもの。子や孫に強制するつもりはない」と、言われる方もおられます。
一見物わかりがよさそうですが、それは違います。
信仰とは生きていく上での土台(基礎)となるもの、何物にも代え難い遺産なのです。
信仰とは、信じて貫き通すこと。
仕事においても、家庭においても、対人関係においても、思考して熟慮して、さらに良い方向に進んでいくように、また物事が成功するように、
そして成功したならば、それ以上に良くなるように次の代に、さらに良くなるようにそのまた次の代に繫げていくことです。
それと同時によくなるように祈り、悟り(良くなるための答え)、行う(良くなるように行動する)ことが大事なのです。
それを、何故どうして次の代に譲ってあげないのでしょうか。次の代に教えてあげないのでしょうか。
今一度熟慮してみてください。