「袖すりあうも多生の縁。つまずく石も縁の端」
とよく言います。
しかし、出会いは日々の生活のなかではむしろ「偶然」と考えていませんか。
ここにさまざまな過ち(間違い)と後悔を生む要因(原因)があるのではないでしょうか。
ところで「鳥瞰」という言葉があります。
字の如く、鳥になったつもりで高い所から全体を見渡す。また、全体を広く見渡すという意味があります。
心の高度を上げることで、それまで見えてこなかったさまざまな結びつきの糸が見えてくるかもしれません。
その時、「偶然」ではなく、物事はすべて「必然」の出会いであったと理解できると思います。
上のご文章(今月の標語)は、日蓮大聖人さまが書かれたお手紙の一節です。
それは、大恩あるお釈迦さまの心(教え)に背くことを「謗法*」と呼び、その行為を強く戒めておられます。
※ 謗法(ほうぼう): 法華経・お題目の教えに対して、悪口をいったり、逆らって信じなかったり、随わないこと
そして、それは自らを地獄に堕とすことに他ならないとして、堕ちて行く先の地獄の様子を詳細に説かれています。
殊に、因果の法に疎いことが堕地獄の大きな要因になるのです。
日々の信仰生活(盛運祈願祭・施餓鬼会法要=先祖供養)は、私たちに鳥瞰の目を養ってくれるはずです。