浄土というと、よくいわれているのが一切の煩悩ぼんのうやけがれを離れた、清浄しょうじょうな国土、

さらには苦しみはなく悪人もいない、完全に清らかな世界だと思っておられる方が多いと思います。

 

しかし、それは誤解です。

本来浄土とは、私たちを成長させてくれる所こそが本当の浄土という世界なのです。

 

鎌倉時代、庶民は苦しみにあえいでいました。

そんな時代の庶民の頼み(心の拠り所)は浄土だといわれています。

そして、その浄土には死後にしかけないとの教えが広まっていました。

 

「そんな考えでいいのか。それじゃあこの世に生まれた甲斐がないじゃないか」

「俺たちの命の花はこの世でこそ開くんだ」

そう叫ばれたのが日蓮大聖人さまでした。

 

 

私たちの成長に必要なことは迷いや試練です。

迷いや試練には悪も含まれ、苦しみもともないます。また、泥(不浄な世界)にもまみれることでしょう。

その苦難くなんを智慧と勇気をもって乗り越えていった先にこそ浄土があり、人の成長があるのです。

 

はす畑を想像してください。

泥の中にありながらも、綺麗かつ色鮮やかな花が咲き誇ります。

また泥の中から引き抜いてきれいに洗った時、つややかで太った見事な蓮根ができているではありませんか。

この蓮畑の光景こそが、まさに浄土ではないでしょうか。

 

これは何も大聖人さまが生きた時代だけではありません。

まさに今の時代、今日只今の問題なのです。