この季節、まず花といえば「桜」と答える人が多いと思います。
「桜」の花は日本人に最も親しまれ、愛される花といっても過言ではないでしょう。
ところが冬の時期の桜は、寒風にさらされ葉を落とし、
そのぽつんと立つ姿を見ると、
春、あのほんのりと柔らかい花が咲くとは想像し難いものがあります。
まさに、春という季節の縁を得て木の中に宿っていた芽が吹きだすのです。
それと同様に、ごつごつとした私たちの心の中にも、桜の花のような優しい芽(仏の心)が宿っています。
だからこそ仏さまの教え(お題目・法華経)に触れて、心の花を咲かせようではありませんか。
清浄なるところに清浄は生まれません。
汚濁の中にこそ清浄なるものが芽生え生ずると日蓮大聖人さまは説かれています。
これこそが法華経の極意であり、煩悩即菩提 の教え※注 なのです。
※ 注:煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)の教え
煩悩とは「迷い」、菩提は「悟り」であります。
仏教では、この対立する二つを「対立するもの」としてみることはしません。
迷いもまた、真如(真実)の現れであり、真実を前提としてのみ存在するものだからです。
つまるところ、悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、
迷いがやがて悟りの縁となり、きりが晴れるように、心が明るくなり、真実(求めている答え)が見えてくるのです。
清濁併せ呑む中にこそ、本当の強き(心・行動)美しさ(真実・智慧)が生じるのではないでしょうか。