仏教(宗教)の根幹は、自らを顧みることです。
その中でも自らがしたであろう善い行い(智慧と行動)はいつまでも覚えているものですが、
日々犯しているであろう罪(不平や不満、愚痴、不行等)は、果たして私たち自身がどこまで覚えているものでしょうか。
それは、知らず知らずのうちに誰かを傷つけているのかもしれません。
そんな私たちにとって、仏教の教えや法華経の信仰は、懺悔に始まり懺悔に終わる教えです。
そして、その懺悔の中で自らの罪の重さ(事(知らず知らずのうちに犯したであろう罪)の重大さ)が自覚されてくるのです。
日蓮大聖人さまの教えの根本は、懺悔の行です。
懺悔の唱題(お題目)を積み重ねる中に、お釈迦さまに生かされている自己(私たち自身)に気付くのです。
その時、懺悔の唱題は報恩の唱題ともなってくるのです。
日々の生活の中で、口(言葉)、行い、誘導(陰から授ける智慧=悪智慧)には、自分自身で常日頃から気を付けるように心がけ、
また物事をよく考え(意=心)てから、話(口)し、行動(身)しましょう。
※ 皆さまも周知のとおり、罪(悪いこと)と知りながら行動すること、それは犯罪です。